昭和25年頃のだるま軒の屋台

昭和25年頃のだるま軒の屋台

写真左が西山仙治、右が西山孝之(初代西山製麺社長)。
西山仙治は、富山県生まれ、若いとき(昭和3年ごろ)から東京に出て、中華調理一般と、そば、うどん、ラーメンと麺類の修業を積んでいる。当時入手が難しいとされている天然のカン石(カン水の原料)の入手先も知っていて、麺づくりは名人と さえ言われた。

仙治は、自分の店で使う麺だけでなく、頼まれるままに、街辻や空地に出来た屋台ラーメン店の麺をもつくった。昭和25年にはそうしたラーメン店が約40軒、その中には、札幌ラーメンの創世記をつくった『龍鳳』の松田勘七の店もあった。