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ラーメン通のための雑学コラム

飲んだあとラーメンが食べたくなるのはどうして?

飲んだあとラーメンが食べたくなるのはどうして?

お酒を飲んで、もう家に帰ろうかというとき、何故かラーメンが食べたくなってのれんをくぐってしまった…。べつにラーメン好きではなくとも、このような経験のある人は多いのではないでしょうか? しかも、いつも以上に美味しく感じられたりするものですがこれには生理学的な理由があります。

ラーメンのスープを豚骨でとる店は多いのですが、秘密はこの豚骨にあります。豚骨スープに含まれる旨味の成分であるイノシン酸には、アルコールを中和する働きがあることが知られています。お酒を飲んで血液中に溶け込んだ多量のアルコールによって、体は無意識にそれを中和するイノシン酸を欲するため、お酒を飲んでいないとき以上にラーメンの匂いにひかれたり、ラーメンを美味しいと感じてしまうわけです。

酒の悪酔いを覚ますため、まだ歩けるうちは、ラーメンを食べて家路にむかうことにしましょう。

屋台のはじまり

屋台のはじまり

寒さが身にしみる真冬の夜、静まりかえった寂しい街角でラーメン屋台を見つけてホッとした経験のある人は多いでしょう。

この屋台の起源は、江戸時代に見ることができます。このころは、担ぐタイプのもので、「夜鳴きそば」「夜鳴きうどん」と呼ばれており夜の商売人を相手に明け方まで営業していたようです。 その後、屋台が登場するのは関東大震災後、当時は固定のものが主でメニューもてんぷら、おでん、すしなども扱っていたそうです。なお、「支那そば」が一般に知られるようになったのもこのころだったと言われています。

博多に多く見られる、現在の移動式屋台のルーツは、戦後の闇市というのが一般的。戦災者、引き揚げ者などが戦後の荒廃のなかで、生活の糧を求めて始められたものでした。ちなみに戦後の札幌ラーメンの創世記も中国からの引き揚げ者によって始められました。たとえば味噌ラーメン創始者の大宮守人氏は満州から、大宮氏にラーメン作りを教えた松田勘七氏は中国天津からの引き揚げ者で、いずれも最初は一軒の屋台から始まっています。

日本で初めてラーメンを食べたのは誰?

日本で初めてラーメンを食べたのは誰?

日本でラーメンが庶民の間で食べられるようになったのは、明治43年の東京、浅草の来々軒が最初と言われていますが、実はもっと時代を遡って300年余り前に口にした人がいました。  それは、『この印籠が目に入らぬか〜』のセリフで有名な水戸黄門様だったのです。

水戸黄門、正式名、水戸光圀は、水戸藩初代藩主、頼房の子、家康の孫にあたる人で、1628年に産声をあげ、9歳で元服したのち将軍家光の『光』を与えられて『光圀』と名乗りました。 34才で水戸藩藩主となり、その非常に高い手腕から「名君」と慕われ、将軍綱吉の時代の幕府を支えた一人としても知られています。

1665年、儒学に熱心だった光圀は、長崎に亡命していた明国の儒学者「朱舜水(しゅしゅんすい)」を水戸藩へ招きました。 朱舜水は多方面にわたり尽力し、自らうどんを打つほどの無類の麺好きであった光圀に、中国の麺を紹介しました。 日乗上人日記によると、1697年6月16日、光圀は朱舜水の伝授した麺を自ら作って家臣に振舞っています。そして、できるだけ美味しく食べるのに、必ず五辛を添えるように勧めました。五辛とはショウガ、ニンニク、ニラ、ネギ、ラッキョウのことで、中国では、五臓の気を発するといわれています。

なお、当時のラーメンは、れんこんの澱粉から作られた「藕粉(おうふえん)」というものが使われました。 これは、古来、唐の時代から麺を打つ時のつなぎとして使われたきたもので、日本そばでいうところの小麦粉に該当するものです。

さて薬味の五辛を添えた当時のラーメン、詳しい製法の記録がないので完全な復元は困難ですが、はたしてどんな味がしたのでしょうか?

ラーメン丼の図柄の意味は?

お店でラーメンを注文すると、丼に入って出てくる。この事に疑問を持つ人はまずいないだろう。にもかかわらず、ラーメン談義において丼のことが話題にのぼることは、まずないと言っていいかもしれない。このように日の目を見ないことが多い丼ですが、この丼にもあまり知られていない秘密があります。

たとえば、ラーメン丼に描かれている、図柄には、どんな意味があるのだろうか? ラーメン丼の図柄の主流は、「龍」「鳳凰」「雷文(らいもん)」「双喜文(そうきもん)」があります。これらには、それぞれ深い意味があります。

龍 天帝の使者をあらわし、「甘露の雨を降らし、五穀を成就せしめる」として中国では、古くから崇められていた空想上の動物である。また、皇帝以外は、原則的に使用してはならない紋章でもあった。但し、臣下が使用する場合もあったので、その場合は、爪を四つにし、皇帝が使用する五つの龍と区別した。
鳳凰龍 古代中国において、最も高貴で、幸運を招く空想上の鳥である。「鳳」が雄で、皇帝の紋章とされ、「凰」が雌で、皇后の紋章とされた。
雷文龍 ラーメン丼のトレードマークと言ってもいい四角い渦巻き模様は、字の如く中国で自然界の驚異の象徴である雷をかたどった伝統の文様である。古くは中国の殷や周の時代の青銅器に多くみられた。
双喜文龍 「喜」の字を二つ並べてデザインしたこの字は、新郎新婦がならんで喜んでいる姿を文字にした、結婚を祝う図案で、本来は結婚式の時のみに使われたおめでたい字である。

ラーメンのルーツは中国。中国らしい文様と言うことでこれらの文様が使われるようになったのかもしれない。
今度、友人や恋人とラーメンを食べる時、この4つの文様の意味を話してあげると本当の「ラーメン通」として一目おかれるかもしれません。

チャルメラの話

チャルメラの話
昭和30年代に札幌で実際に使用されていたチャルメラ
西山製麺(株)保管

しんみりと冷えこんだ晩秋の真夜中、静まりかえった街角ではるか彼方よりかすかに聞こえてくる悲しきチャルメラの調べ ♪ドレミーレド ドレミレドレ〜♪ インスタントラーメンがまだ普及していなかった昭和30年代この旋律を聞くと、無性にラーメンが食べたくなったものである。

オーボエの祖先と云われるチャルメラは、16世紀の末・安土桃山時代の南蛮貿易の盛んだった頃、ポルトガルから渡来した木管楽器でポルトガル語のチャラメラがいつのまにかチャルメラとして呼ばれるようになったもの。渡来の当時は、「南蛮笛」と呼ばれ、明治時代には、中国人の飴売りが使っていたので「唐人笛」とも呼ばれていました。かの有名な石川啄木もその作品、「一握の砂」の中で「飴売のチャルメラ聴けば うしなひし をさなき心 ひろへるごとし」という歌を詠んでいることからも当時を偲ぶことができます。

中華そば屋台でチャルメラが使われるようになったのは、明治30年代後半の横浜が最初、その後大正時代には、東京でもチャルメラを吹く移動式屋台がいたるところで見られるようになっていきました。しかし最近では、移動式屋台そのものの減少によりめっきりその調べを聴くことがなくなってしまい、たまに聴くことがあってもテープに録音されたものだったりで興ざめの感さえ持ってしまいます。

ラーメン屋台と夜空に響くチャルメラの悲しい音色は,コンビニもインスタントラーメンもなかった昭和30年代を生きた団塊の世代の懐かしい心の思い出の一コマとも云えるかもしれません。


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