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ご当地ラーメンと札幌ラーメン

全国には各地の特色・食文化をふんだんに盛り込んだご当地ラーメンがたくさん!
地元で熱烈な支持を集める人気のラーメンを紹介します。
あなたの知らないラーメンが載っているかも…?

東北・関東・関西のご当地ラーメン

喜多方ラーメン

福島県喜多方市は2600棟余りの蔵が市内に点在する「蔵のまち」。 澄んだしっかりとしたスープに太い平打ち縮れ麺の喜多方ラーメンが全国的に有名になったのも、この「蔵」と無関係ではない。蔵を見るためにやってくる観光客が地元の店で昼食をとる。そして喜多方のラーメンの旨さが広まったというのだ。

その歴史は、大正14年に当地にやってきた中国人・潘欽星(ばんきんせい)が屋台のラーメン店「源来軒」を始めたのが元祖。さらに終戦後は、戦前から営業している人に加え、中国からの引揚者が大陸で学んだ技術を元に営業を始め、現在のラーメン店分布の原型が作られていった。

こうして地元の人に磨かれ、観光客の口コミで評判を呼びはじめたラーメンを、市が力をいれて広報を行い始めたのが昭和50年代末。そして昭和60年にNHK「おはようジャーナル ラーメンの香りただよう蔵の街」で全国放送されたのをきっかけに一気にブームとなった。
その後、店の数はいっきに増え、今では人口3万7000人に対して130もの店が営業し、札幌・博多と並んで日本3大ラーメン都市の一角をになう。

特徴はまずスープ。多くの店で豚骨のスープと煮干しのスープを別に作り、これを注文後にブレンドして客に出す。この2種のスープが混然一体となって旨さを作り出す。味は塩から醤油まで店によって様々。
そして麺。「平打ち熟成多加水麺」といわれ、札幌ラーメン同様に水を多く加えてしっかり寝かせた麺だ。喜多方ラーメンの、もちもちとした歯触りでコシのある麺と奥の深いスープのバランスは、街の美しさとともに忘れがたいものになるに違いない。

佐野ラーメン

東京から高速道路を使い、車で約1時間。栃木県佐野市は日本名水百選に数えられる「出流原弁天池」(いずるはらべんてんいけ)の湧き水で有名な、風光明媚な街だ。
人口8万5千人のこの街に、200軒あまりのラーメン店が、全国に知られる前から営業している「ラーメンの街」でもある。名水を使った澄んだスープに、手打ちの縮れ麺が佐野ラーメンの特徴。その歴史は古い。

洋食屋「エビス食堂」が佐野で初めてラーメンを出したのは、大正5年頃。この店の中国人コックが「青竹打ち麺」を佐野に伝えた。「エビス食堂」のコックがこの技術を受け継ぎ、「宝来軒」を開いたのが昭和5年。これが起源とされている。
昭和初期には人口5万人に対して、ラーメン店がすでに160軒近くあったという。その訳は、主要な地場産業であった織物「佐野ちぢみ」にある。この織物工場で働く職工さんには家庭の主婦が多く、食事の仕度が間に合わない時には、ラーメンの出前が多く使われたために、ラーメン店が増えたというのだ。

こうして現在まで地元の人々に親しまれ、育てられた佐野ラーメンは、ゴルフ客を中心に口コミで知られるようになる。そして昭和63年にまちおこしの一環として「佐野らーめん会」が作られ、一気に全国区に。
この地で穫れる麺に適した良質の小麦と青竹打ちによって作られた麺は、加水率がきわめて高く、ソフトな歯触りが特徴、また豚骨や鶏ガラからていねいに作られるスープには、一点の曇りもない。どこか懐かしさを感じさせる、さっぱりとした後味のラーメンだ。

東京ラーメン

東京ラーメン
新宿3丁目にある熊本ラーメンの名門「桂花ラーメン」のとなりに昨年開店した九州ラーメン「桜吹雪が風に舞う」テレビでも話題となった新宿ラーメン戦争の一コマである

あらゆる味の一杯が集まる「ラーメンの無国籍都市」東京。昔ながらの東京ラーメンがあれば、全国各地のご当地ラーメンもあり、また東京で生み出された新しい味のラーメンも集う。
明治43年、東京浅草に尾崎貫一が「来々軒」という中華食堂を開業。横浜中華街出身のコックが作ったこの店の看板メニューが、醤油味のスープに中華の麺を入れ、チャーシューとシナチク、ねぎをのせた「支那そば」だった。
以前から横浜では、中国広東省出身の人が多かったためたくさんの広東料理店があった。「支那そば」は、その中の「湯麺」という麺料理をアレンジして作られたものといわれる。 「湯麺」は豚骨からだしをとったものだが、当時の日本人には豚を食べることには馴染みがない。そこで、鶏ガラをベースに鰹節、昆布、煮干しなどを使い、日本そばに似た澄んだあっさりスープを作り出したのだ。「支那そば」は値段が安かったことから、庶民の食べ物として人気を得、東京中に広まった。これが東京ラーメンの発祥である。

そして今、すっかり庶民の味として定着したラーメン。東京では激しい客の奪い合い、「ラーメン戦争」があちらこちらで勃発している。巨大都市だけに、一旦人気がでればすさまじい数の人々が店頭に行列を作るのだ。
「春木屋」、「丸信」、「丸福」といった老舗が集まるラーメンの聖地とまでいわれるJR荻窪駅周辺地区、豚骨ラーメン「なんでんかんでん」で一躍有名になった首都圏の大動脈環状七号線沿道などの従来の激戦区に加え、最近もっとも注目をあびているのが、ラーメン専門店だけで約80軒はあるという、JR新宿駅東口から新宿3丁目にかけてのエリア。
ここは、「新宿ラーメン戦争」という呼び名でたびたびマスコミにもとりあげられる大激戦区だ。その中でいち早く長蛇の列を作ったのが1998年開店の「麺屋・武蔵」。さらに「武蔵」で修行をつんだ店主が開いた「竈KAMADO」、フレンチのシェフである店主が開いた「佐の屋源左衛門」など個性溢れる人気店が登場し、今一番ホットなエリアとなっている。

和歌山ラーメン

和歌山ラーメン
和歌山ラーメンの代名詞となった井出商店。行列の絶えない超人気店である

平成10年、「TVチャンピオン」で「井出商店」が日本一に選ばれたことから全国的にブレイクした和歌山ラーメン。豚骨をしっかり煮込んだ濁ったとろりとしたスープに、ストレートで細麺の「とんこつしょうゆ味」が高い評価を受けた。
地元では「中華そば」と呼ばれることが多いラーメン、実は和歌山ではこの「井出商店」から派生した「井出系」と、それよりも歴史のある「車庫前系」がある。「マルタカラーメン」の高本光二が屋台の「中華そば」店を始めたのは昭和15年。繁昌したこの店の仕事を覚えた人々が戦後、市内を走る路面電車沿いに「中華そば」の屋台を出すようになった。
だしは、豚骨でとっていたが、保存のためいったん豚骨を醤油で炊いていたのが思わぬ旨さを引き出したという。これらの屋台が店を構え、しっかりとした澄んだ醤油味のスープにちょっと太めのストレート麺、具はナルトの替わりにカマボコというラーメンが一番の繁華街であった路面電車車庫前に軒を連ねたことから「車庫前系」と呼ばれ人々に親しまれるようになった。

一方「井出商店」の井出つや子は、昭和28年に「中華そば」の屋台を始める。最初は「車庫前系」と同様のスープ。ある日スープを火にかけ過ぎ、濁らせてしまった。
ここから九州ラーメンとは別の「とんこつラーメン」を、試行錯誤の末に生み出したのである。この褐色のスープは地元の人を魅了し、多くの人がここで修行をし、店を開き、「井出系」を形成するようになったのだ。長い歴史を経て和歌山の味となった2つの「中華そば」、どちらの味もその歴史を伝える「円熟の一杯」だ。


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